みらい予想図は地域社会で重症心身障がい児、医療的ケア児、その家族を支える仕組みを創るために発足しました。
医療の進歩とともに幼い命が助かるようになりました。 しかし、その命のケアにまだ社会が追いついていません。
重症心身障がい児、医療的ケア児(以下、「重症児」と言う。)の子育ては想像をはるかに超えるものです。
介護にあたる家族は休む時間はおろか寝る時間もありません。 心身ともに疲れた中で人とのつながりや相談できる場所もないまま 地域から孤立し、家族が追い込まれてしまうケースは決して少なくありません。
重症児も親もそのきょうだいも、家族みんなが笑顔で当たり前の生活を送れるようにしたい。
そのために、みらい予想図は地域全体で重症児とその家族を支えられる仕組みを創っていきます。
どんなに重い障がいを持っていても地域の中でともに支え合う社会を目指す
子どもたちの笑顔が増えるようなたくさんの経験をさせたい
重症児が安心して過ごせるための居場所を創り人財を育てる
母・家族の休息の場所になる
きょうだい児や家族みんなの思いに寄り添う
子どもたちと共に常に笑顔で前向きに生きる
スタッフ、その家族も笑顔で豊かな生活を送る
このロゴは「共生する未来」をイメージしています。
高知県出身のイラストレーター小笠原まきさんにお願いして素敵なロゴが完成しました。
どんな人でも手をつないで生きていける地域を作る。
ここに来たら必ず”つながる”ことができるという場所を作る。
そして、一緒にみんなで支え合える地域社会になるように。
この想いから、地球の周りに地球に住む動物たちもいっしょに仲良く手をつないだ「共に生きる」の理念をイメージして完成してくれました。
どんな人にも役割りがあり、幸せに生きる権利がある。
いくつもの障がいを 持って生まれてきた我が子から
たくさんの大切な事を教わり続けています。
私たち親子を支えてくれた たくさんの教えや優しさを忘れない。
そして今度は私たちが支える。
みんなで支え合い、認め合える 優しい社会が育っていきますようにと
願いを込めて…
特定非営利活動法人 みらい予想図
理事長 山﨑 理恵
2017年4月にNPO法人の設立、同年9月には重症児デイサービス施設「いっぽ」を開設することができました。
全国からのたくさんの温かいご支援を頂いたおかげです。
ホームページの立ち上げが大変遅くなりました。
開設までの悪戦苦闘、開設後も多忙を極めたことから、なかなか準備に取りかかれず、ようやく2年近くたってのホームページスタートです。
ご支援下さった皆さま方への感謝の意、事業のご報告などが遅れましたことを深くお詫び申し上げます。
「特定非営利活動法人みらい予想図」を設立致しました。
「どんなに重い障がいがあっても、みんなに役割りがある」を信条とし、みんなが笑顔で幸せに共に支え合いながら暮らしていける社会を目指し、2016年10月から法人の設立に向け準備を始めました。
当初、「無謀だからやめたほうがいい」と止める人がほとんどの中、一人の重症児のお母さんと二人で奮闘の日々でした。
「重症児デイサービスいっぼ」を開設致しました。
重症児(身体、知的に最も重い障がいがあり、医療を必要としているこども)が笑顔で安心して過ごせる居場所づくりと、24時間介護を余儀なくされているご家庭を支援するための開設に至る経緯が高知新聞で連載されたことで、多くの方々からのご寄付をいただき、当初は借家でスタートする予定だったのが、物件を買い取って内部を思い切り改造することができました。スタッフについても、想いのあるスタッフが確保できました。
2005年1月26日、全盲でたくさんの障がいを持って生まれて来た次女、音十愛(おとめ)の出産が私の人生を根底から変える事になりました。絶望感、泣きやまぬ次女を看病することによる慢性的な不眠と疲労感。たたみかける不安と孤独に襲われながら、いっそこの子を連れて楽になりたい…
そんな絶望の淵にいた私たち親子を支え、導いて下さった沢山の人たちとの出会いがありました。
その貴重な経験が今の私の行動の支えとなっています。
その後、家庭が崩壊しシングルマザーとしての再スタートをきりましたが、生活を送りながら地元新聞の取材を受け、連載が始まり、ものすごい反響を呼んだ事が、次の人生の転機となりました。
21回にわたる連載が終わり、私たち家族の苦難の状況は世の中に知れ渡ったわけですが、それだけで終わっていいのだろうか。
思い返せば、お世話になりっぱなしの人生…。
こんな私だからこそ出来ることはないのか?
自問自答を繰り返しながらもがいていた時、「NPO法人 ふれ愛名古屋(現、社会福祉法人 ふれ愛名古屋)」の鈴木由夫 理事長の「なければ創ればいい」の言葉に出会いました。
当時、私の身近な友人たちは、重い障がいがあり医療依存度が高い我が子の預け先がなく、自宅で24時間命を削りながら必死で育てていました。
このままではきっと家族みんなが潰れてしまう…
「この子たちと家族の笑顔を守り、安心して過ごせる居場所をつくる」という目標が決まったのです。
その経過も高知新聞などで報道していただき、今でも読むことができます。